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FAAVO大阪で支援いただき245万資金調達いたしました!
起案者「酒匂雄二」:大阪にちなんだ、大阪発の服「真田幸村スーツ」を作る

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大阪のヒーロー 
知勇兼備の将「真田幸村」

弊社の創業の地にして紳士服店が数多く軒を連ねた谷町は大阪の陣でも戦場となった場所です。参戦した多くの武将の中でも、最も名を残した真田幸村はドラ マ、漫画、ゲームなどでも高い人気を誇る武将。戦国最後の激戦で散った幸村の逸話は様々ありますが、知勇兼備の将、戦国一の兵という勇猛果敢な印象があ り、大阪では大変人気の高い戦国武将です。

豊臣方と徳川方が対決した「大阪夏の陣」では、徳川家康を追いつめ、真田隊の凄まじさに家康は自害を二度も覚悟したほどだったという逸話が残るほど勇猛な名将だったとして現代でも語り継がれています。

2014年は大阪で幸村博というイベントが来場者数万人を数え、2015年は大阪夏の陣400周年、2016年には大河ドラマの主役にも決定し、益々盛り 上がる真田幸村熱にあやかったスーツを製作し、大阪城周辺でかつて隆盛を極めた紳士服縫製文化を全国へ発信し、大阪の縫製業界を盛り上げたいと考えていま す。

こんにちは!大阪の紳士服・礼服メーカー、株式会社NFLの酒匂雄二と申します。NFLではこれまで卸メーカーとして冠婚葬祭に関わる服、紳士礼服、タキ シード、燕尾服、モーニングコート等を主に、大阪城の目と鼻の先にある工場で縫製してきました。そして現在ではビジネスマンが着るオーダースーツも製造し て東京の南青山と大阪梅田のお店で直接の販売もしています。

服飾系の専門学校も多く、縫製業界を志望する学生が多い街「大阪」。しかし繊維業界における物づくりは年々衰退する一方です。この状況を打開し、若い世代 に縫製職人が夢を持てるようなものづくりがしたい。自分たちで企画提案し、発信できる新しいファクトリーブランドになりたい。日々繊維業界に身をおき仕事 をしていく中で、そう考えるようになりました。

そして今回、来年2015年で400年周年を迎える大阪夏の陣で華々しい伝説を残した真田幸村にちなんだスーツ作りを企画しました。戦国時代、武将たちは甲冑に身を包み戦いました。いわば現代のビジネスマンの甲冑、勝負服はスーツ。

スーツ「武将(R)」シリーズの第一弾として、真田幸村モデル「不惜身命」を製作し、全国に大阪の紳士服縫製文化と大阪のヒーロー「真田幸村」を発信したいと思います!

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▲NFL代表「川辺友之」真田幸村スーツ着用写真

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真田幸村スーツのこだわり


今回サンプルでお作りした幸村スーツはグレーストライプの表地を使用しました。実際にオーダーいただく際は弊社取扱の生地から自由にお選びいただけます。ビジネスシーンなどでもご着用いただけるようなデザインで制作していますが、店頭では表地選びから糸の色使い、ステッチまで細かくオプションで制作可能です。

豊臣方と徳川方が対決した「大阪夏の陣」では、徳川家康を追いつめ、真田隊の凄まじさに家康は自害を二度も覚悟したほどだったという逸話が残るほど勇猛な名将だったとして現代でも語り継がれています。

2014年は大阪で幸村博というイベントが来場者数万人を数え、2015年は大阪夏の陣400周年、2016年には大河ドラマの主役にも決定し、益々盛り 上がる真田幸村熱にあやかったスーツを製作し、大阪城周辺でかつて隆盛を極めた紳士服縫製文化を全国へ発信し、大阪の縫製業界を盛り上げたいと考えていま す。

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▲不惜身命織ネーム

裏地は黒で赤の線をあしらい真田幸村カラーを演出。ネームは幸村スーツ専用に真田の六文銭と不惜身命の文字をいれた特別ネームで制作しています。

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▲NFLのブランド「Made in Tanimachi」
ブランドネームにはNFLが扱うブランド「Made in Tanimachi」を使用。谷町の物づくりをしている会社が大阪夏の陣で大活躍した真田幸村スーツを制作するという、大阪のものづくりへの思いを込めています。

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▲幸村スーツ限定仕様のオリジナル織ネーム仕様
ネックのネームにも六文銭と不惜身命のネームを使用。ハンガーで吊っていてもかっこよく見える様にデザインしています。

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▲フロントボタンと袖ボタンは六文銭を赤色で彫った特別仕様

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▲袖ボタンも片袖6個ずつで、六文銭にならった仕様

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ネックを裏返すと、赤地で真田カラーを演出。さらにここにも六文銭と不惜身命のネームを使用しています。

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▲真田幸村のイメージである赤をコントラストにあしらい、ジャケットの内ポケットの留め具、パンツの内側のすべり止めに真田紐を使用
真田幸村の旗印である六文銭(もしくは「六連銭」)は、亡くなった人を葬る時、棺に入れる六文の銭の事で、三途の川の渡し賃のことである冥銭を表しています。これを旗印にすることは「不惜身命」(ふしゃくしんみょう:仏法のために身命をささげて惜しまないこと)を意味するといわれています。今回の真田幸村スーツには、真田の六文銭と不惜身命をネームやボタンに取り入れて制作しました。

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オーダーメイドでお作りいたします!

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▲生地見本

今回はサンプルをグレーストライプの生地で制作していますが、店頭でお作りいただく方にはオーダーメイドで、表地から各種オプションまで選択いただき制作いたします。黒の表地で赤のステッチを入れるもよし、グレーの生地でお作りするも良し。株式会社NFLが運営する紳士服・礼服のお店「ノービアノービオ」で採寸の上、生地やオプションをお選びいただいて制作いたします。お好みのスーツ作りを是非お楽しみください。

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今回幸村スーツのサンプルで使用した型紙はNFLが新しく開発した新型紙です。現在主流の「肩幅」を小さくし、肩パットを薄くしたソフトなジャケットになっています。アームホールを縦楕円ではなく、横楕円にし、肩を上げても脇の生地が釣られて引っ張られないデザインになっています。衿も首に吸い付くように付け、ジャケットの重みが首と肩とバランスよく、かかるようにして、ジャケットの重みを感じさせなく、肩の凝らないジャケットになっています。「組下(ズボン)」はノータックの細身で、膝位置が高く、脚長効果があるデザインです。おしりに食い込みがなく、3D立体的な構造になっています。 こちらの型紙を使って、今回の幸村スーツを制作いたします。 ※その他の型紙(デザイン)も多数ご用意。ノービアノービオにご来店の方は、その他の型紙もお選びいただけます。既成品はこちらの型紙使用したものとなります。

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生地業界に革命を!武将スーツ第2弾織田信長スーツを開発したい!

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こんにちは。大阪の紳士服・礼服メーカー、株式会社NFLの酒匂雄二と申します。大阪でスーツ作りを行うNFLは縫製業界を盛り上げたい!という思いで、 武将スーツという企画を開始。2014年「武将(商標登録※2)」シリーズの第一弾として、真田幸村モデル「不惜身命」を製作し、全国に大阪の紳士服縫製 文化と大阪のヒーロー「真田幸村」を発信というプロジェクトをFAAVO大阪で立ち上げたところ、全国から246万円ものご支援を頂きました。

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木曽川の豊富な軟水に育まれ、愛知県・尾州は毛織物産業が発達しました。

年末から既に武将スーツ第二弾に関する記事はメディアよりすでに出ておりますが、第二弾は織田信長天下布武スーツです。1952年の創業当時より、弊社は尾州(愛知県)の生地を多く使用しています。

特に主商品のフォーマルスーツは愛知県愛西市にある冨文毛織さんの生地を使用しておりますが、冨文毛織さんは、近年研究者の間で信長生誕の地として有力に なりつつある「勝幡城」のすぐ近くにあります。一宮市や愛西市は木曽川の恩恵を受け、毛織物産業に不可欠な軟水が世界的に見ても豊富な為、繊維業が古くか ら盛んな土地でした。

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▲のどかな田園風景の中にある冨文毛織さん。懐かしいノコギリ屋根の工場の中で、名だたる有名ブランドも愛用する日本トップクラスのフォーマル生地が織られています。

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▲近年、信長生誕の地として有力な勝幡城は冨文毛織さんの近く。
このすぐ西側に木曽川が流れています。
全盛期に比べ、生産数は減少し高齢化も進む縫製業界。日本の毛織物を支え続けている世界に誇るべき尾州織物をもっと世に知ってもらいたいという思いを込め、現在は毛織物の生産地である場所に生まれ、日本の革命児となった織田信長天下布武スーツを製作し、尾州毛織物の素晴らしさを発信していきます! そして愛知県や滋賀県など信長に縁の深い県にあるオーダースーツサロンで取扱い頂き、ご当地スーツとしてスーツ産業を振興していければと考えています。

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海外産に押される日本の縫製業界・毛織物産業界を元気にしたい!

NFLではこれまで卸メーカーとして冠婚葬祭に関わる服、紳士礼服、タキシード、燕尾服、モーニングコート等を主に、大阪城の目と鼻の先にある工場で縫製してきました。そして現在ではビジネスマンが着るオーダースーツも製造し、東京・南青山と大阪・梅田に直営店も構えています。 服飾系の専門学校も多く、縫製業界を志望する学生が多い街「大阪」。しかし繊維業界における物づくりは年々衰退する一方です。この状況を打開し、若い世代に縫製職人が夢を持てるようなものづくりがしたい。 そういう考えから、大坂の陣400年を迎え盛り上がる大阪から新しいコンセプトのスーツを企画制作しました。それが武将スーツ第一弾「不惜身命幸村スーツ」です。 2014年9月に発表した「不惜身命幸村(商標出願中※3)スーツ」はテレビ・新聞・イベントなど多くのメディアにご紹介頂き、SNSを中心にネットでもたくさんのシェアをされる中で次の武将に関するリクエストもお寄せ頂きました。織田信長のお問い合わせも非常に多く、またNFLが関わっている愛知県の生地メーカーも盛り上げたいという思いで、この度織田信長スーツを開発するに至りました。

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尾州から天下へ!戦国の風雲児 織田信長

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▲戦国の風雲児「織田信長」
ご存知の通り、織田信長は当時、数々の革新をもたらしました。
その信長の生誕の地の誇るべき産業「毛織物」の素晴らしさを
今一度見なおし、全国に発信したいと考えています。

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織田信長スーツのこだわり 

弊社の創業の地にして紳士服店が数多く軒を連ねた谷町は、かつて大阪城の敷地だった場所です。それ以前は織田信長と石山本願寺勢力との10年にも及ぶ「石山合戦」の舞台となった場所でもあります。信長が生誕した勝幡城すぐ近くで織られた生地を、信長の活躍した記録が多く残る大阪の縫製工場がフォーマルスーツに仕立てているということも何かの縁ではないかと感じています。

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サンプルで製作した天下布武織田信長スーツは工場のストック生地にて製作。実際にオーダーいただく際は弊社取扱の生地から自由にお選びいただけます。ビジネスシーンなどでもご着用いただけるようなデザインで制作していますが、店頭では表地選びから糸の色使い、ステッチまで細かくオプションで制作可能です。 このサンプルは裏地を黒、パイピングにイエローをあしらいました。

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▲サンプル例:裏地をワインレッド、パイピングにシルバーをあしらいました。

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▲天下布武のブランドネーム 戦国魂プロデュース・天下布武ネーム
実際に織田信長が押印したとされる印影から起こした天下布武の織ネーム。 こちらは戦国時代・戦国武将をプロデュースする企画集団・戦国魂の鈴木智博プロデューサーに提供・監修頂きました。

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▲幸村スーツで好評だった襟の裏の色は3色からお選び頂けます。 左:ワインレッド 右:イエロー そしてノーマルのブラックの3色をご用意しています。

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▲プリント付コースにご支援頂いた方には、 信長が好んで舞ったとされる幸若舞「敦盛」の一節をプリントしてお届け。 普段着用時には見えない右脇にプリント致します。 文字はテストプリントです。

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▲天下布武スーツ限定「永楽通寶ボタン」 織田信長が旗印として使った永楽通寶を刻印した特別仕様のボタン。 愛用したとされる南蛮胴をイメージしたガンメタリックカラー。

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▲永楽旗カラーのボタン
永楽通寶の旗印の山吹色をイメージしたボタン。袖や内ポケットにあしらいました。 永楽通寶ボタンと同じく袖ボタンもガンメタリックカラー。 袖ボタンの配色はオーダー時にお選び頂けます。

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▲パンツのお尻のポケット(ピスポケット)にはフラップを付け、 永楽旗ボタンをあしらいました。普段見えないところにもこだわりを。 オーダーの際、フラップ無しもお選び頂けます。

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▲生地見本
店頭でお作りいただく方にはパターンオーダーで、表地から各種オプションまで選択いただき制作いたします。基本設定では愛知県・一宮市の生地メーカーの生地からお選びいただきます。

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▲NFLのブランド「Made in Tanimachi」
ブランドネームにはNFLが扱うブランド「Made in Tanimachi」を使用。 大阪のものづくりへの思いを込めています。 株式会社NFLが運営する紳士服・礼服のお店「ノービアノービオ」で採寸の上、生地やオプションをお選びいただいて制作いたします。お好みのスーツ作りを是非お楽しみください。 ※ご来店の場合、当店指定の生地帳からご自由に生地をお選びいただけます。 ※お選びいただくスーツの生地(国内・海外ブランド生地)や その他オプションによって別途費用がかかる場合があります。

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FAAVO限定リターン 天下布武信長マント 

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▲当プロジェクト限定!通常タキシードなどに使用するウール100%の尾州・冨文毛織のフォーマル生地を贅沢にマントに仕上げました。フォーマル生地の持つ深い発色と肌触りを堪能して頂きたいアイテムです。 背中には天下布武ネームを縫いつけます。

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▲ウール生地で防寒性もあり重量感もあるので、 パーティーグッズで販売されているマントなどとの質感は雲泥の差です。

 

▲燕尾服やスーツづくりでMade in TANIMACHI
培われた技術を細部にも。センターベント加工。ベントにも装飾を余すことなく豪華にあしらいました。

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武将スーツ第3弾!
北条氏康スーツでまちおこし!小田原を盛り上げたい!

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▲北条五代の中でも最も人気が高い三代・北条氏康。
こんにちは。大阪の紳士礼服メーカー、株式会社NFLの酒匂雄二と申します。

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▲左 NFL代表「川辺友之」 右 起案者「酒匂雄二」 2015年7月17日小田原市観光課での打ち合わせで小田原訪問。

こんにちは。大阪の紳士礼服メーカー、株式会社NFLの酒匂雄二と申します。大阪でスーツ作りを行う弊社NFLは縫製業界を盛り上げたい!という思いで、武将スーツという企画を開始。

2014年武将スーツの第一弾として、真田幸村モデル「不惜身命 真田幸村スーツ」を製作、全国に大阪の紳士服縫製文化と大阪のヒーロー「真田幸村」を発 信というプロジェクトを企画、天王寺区長、天王寺真田幸村博の関係者様の応援もあり全国から約246万円のご支援を頂きました。続く2015年3月、愛知 県の毛織物産業を盛り上げるべく第二弾「天下布武 織田信長スーツ」を開発、こちらも支援額が102万円を超えるプロジェクトとなりました。

その活動の中、FAAVO小田原箱根の方に出会い「次は是非小田原で!」という熱いオファーを頂きました。

五代90年に渡り関東を治め、今なお慕われ続ける北条氏より、特に人気の高い三代目北条氏康と小田原城をモチーフとしたスーツを製作。
北条五代の大河ドラマ化へ向けて盛り上がる小田原の町おこしのお役に立てればと、小田原市観光課の皆様や小田原の伝統工芸品である寄木細工の若手の職人さん、戦国プロデュース集団戦国魂さんと会議を行い、武将スーツ第三弾「禄寿応穏 北条氏康スーツ」開発プロジェクトを立ち上げました。

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▲本プロジェクト「禄寿応穏 北条氏康スーツ」のサンプル

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▲小田原駅前にある後北条初代・北条早雲像。現代でも地元の人たちに愛されていることが伺えます。

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地域密着安定経営ホワイト企業!北条家の魅力

文武両道の家臣・領民想いの領主
氏康本人が出陣した戦いでは武田信玄、上杉謙信、今川義元との戦でも不敗を誇り、生涯30回以上に及ぶ合戦では一度も敵に背を見せず、傷はすべて体の前につく「向こう傷」だったといわれており、「氏康の向疵」と呼ばれるほど勇猛果敢な武将だったとされます。

一方、税制の改革に熱心で、中間搾取の撤廃による直接納税、凶作や飢饉の際には減税や免除を実施、貨幣通貨の統一なども推進しました。

官僚機構の創出も行い、領民の誰もが北条家に訴えを起こせる目安箱を先駆けて設置、領内の訴訟処理にも従事したとされます。
全国から職人、文化人を呼び寄せ、清掃活動や上水道の整備など都市開発にも力を注ぎました。

当時の小田原の様子を伝える記録に「ゴミ一つ落ちていない清潔な街」という記述も。そんな氏康の人柄を示すものとして「表は文学の人、裏は武人、清い政治で、遠くの民まで敬服している」という記述が残り、
その死が伝えられると領民は嘆き悲しんだということからも、名君だったことがよくわかります。

同盟関係にあった武田信玄が父を追放、今川義元が兄弟間の争い当主となったのに比べ、北条家では五代90年に渡り、同族間の内紛が起こっていないことからも、その安定経営ぶりが伺えます。

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▲領民を大事にし、文武に優れた北条家の最盛期の領地は関東地方全域、
8カ国に及びました

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北条家が目指したのは、 誰もが平和に暮らせる理想国家 虎朱印の「祿壽應穩」に秘められた想い

北条家の家訓が記された「祿壽應穩」=「禄寿応穏」のハンコ【虎朱印】は当主が発給した公式文書を示すために作られた印です。
上に乗っている虎は初代・北条早雲の夢に出てきた虎とされています。

「ろくじゅおうおん」の意味は「祿壽(財産と生命)は應(まさ)に穏やかなるべし」のことで、家臣・領民の財産と生命、つまりは穏やかな生活は北条家が守るという、食うか食われるかの戦国時代において、とても庶民を考えた「マニフェスト」を掲げていたのです。

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▲北条家の家訓が記された「祿壽應穩」「禄寿応穏」のハンコ【虎朱印】

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強く優しき、経営者・上司・父親として理想像

下記のような氏康の言葉が残っています。

上司が部下を選ぶように、部下も上司を選ぶもの。
戦いに明け暮れ、庶民を大事にしない者は、他へ去られてしまう。
部下を愛し、庶民を慈しむのは当然である。


北条家は
「君主は万民を愛し、家臣はよく仕える。父として子を大切にし、子は親孝行をする。友には礼儀を尽くす」
国家安泰の見本とされました。

関東を制圧した豊臣秀吉が徳川家康を送り込んだのは、遠ざけるためだけではなく、善政を敷き、領民に慕われた北条家の後釜に据えることで統治がしづらい嫌がらせの面が強いとされ、家康本人も「北条家の人気が高く、治めづらい」とこぼしたといいます。 武人として文化人として、経営者として父親として、現代の父親がお手本にすべきところが多分にある北条氏康。 日本全体が疲弊し、人と関わりが希薄になっているとされる今こそ、 世の経営者にビジネスマンに、このスーツを着て頂きたいと考えています。 五代90年に渡り小田原を中心に関東一円を治め、今なお人気の高い北条家。 その想いと、領民ごとまもろうと作られた総構、難攻不落の小田原城をモチーフにし、寄木細工という小田原の伝統工芸品をあしらった 「禄寿応穏 北条氏康スーツ」開発のため、ぜひ多くのご支援をお願い申し上げます。

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禄寿応穏 北条氏康スーツのこだわり 

ブラック企業、社畜・・・後ろ向きな言葉ばかりが目立つ現代のビジネスシーン。そんな今だからこそ、上司・部下・仲間を想い、家族や子供を大切にするビジネスマンへ!氏康の不敗神話と難攻不落の小田原城。商機を勝ち取る想いを込めたスーツに仕上げました。

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北条スーツの特長1: 「禄寿応穏」虎朱印の織ネーム

北条家の家訓「禄寿応穏」が刻まれた虎朱印の特製織ネーム。当時使われた印影よりデジタルデータで再現。細部のかすれまで緻密に表現しました。 【監修・協力:戦国魂】

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北条スーツの特長2: 五色旗・五色備えのモチーフを随所に

北条軍の5人の家老の軍の色分け。いわば北条家のスーパー戦隊。この五色の旗は氏康の本陣の馬標として掲げられたといいます。
多目元忠 (黒備)、笠原康勝 (白備)、北条綱高 (赤備)、
富永直勝 (青備)、北条綱成 (黄備)

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▲小田原城内のイベント会場にも五色を彩った北条家の家紋が。

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▲左内ポケットの縁を五色旗をイメージした色分け生地で切替しました。

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▲右内ポケットには小田原の伝統工芸品寄木細工の釦、釦留めには五色のリボンをあしらいました。弊社の大阪谷町工場で縫製したスーツのみに着く「Made in Tanimachi」ネームも。
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▲パッと見は普通の袖ボタン。でもスーツには珍しい5つボタン。実は横から見ると五色備えの色に塗り分けられています
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▲袖ボタンの下には五色リボンをあしらい、ちょい見せで違いを演出
※写真下:袖口がボタンで開く「本開き仕様」はお仕立て時別途3,240円のオプションとなります。
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▲パンツのウエスト部の内側に五色リボンすべり止めとしてあしらいました

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北条スーツの特長3: 北条家のイメージカラーも随所に

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▲襟の裏地(カラークロス)には、ゲームなどで北条家のイメージカラーとして使用されることの多い緑をあしらいました。 ※三つ鱗の金糸刺繍はお仕立て時別途6,480円のオプションとなります。

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▲表地と裏地の切替し部分にグリーンのパイピングをあしらいました。

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北条スーツの特長4: 小田原の伝統工芸品 寄木細工のボタン

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▲小田原の伝統工芸品「寄木細工」のボタンを内ポケットとパンツのリアポケットのボタンに採用しました。※寄木細工は1つ1つ手作りの為、色や風合いが異なります。 【協力:雑木囃子】
寄木細工について

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▲2015年8月28日再び小田原を訪問。寄木細工職人グループ雑木囃子さんとボタンやリターン品の打ち合わせなどを行いました。
寄木細工は江戸時代後期に箱根の畑宿で石川仁兵衛氏によって創作さ れたと言われています。約200年の歴史の中で、技法も時代と共に進化していき、今では様々な模様を組み合わせた寄木を鉋で薄くスライスする「ヅク」と呼ばれる技法が開発され、この技法により大量生産が可能となり、今でも数多くの製品が生み出されています。 この優れた技術、技法が認められ、箱根寄木細工は昭和59年に通商産業大臣 より「伝統的工芸品」に指定されています。箱根駅伝の往路優勝チームには寄木細工のトロフィーが授与されることでも知られています。 この素晴らしい伝統の技術をスーツの部材に用いることで、広く小田原・箱根の伝統工芸を発信できればと 考え、ご協力頂きました。
無料オプションにつきまして

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▲お仕立て時にお選び頂ける生地の中に、難攻不落の小田原城にあったワッフル状の堀「障子堀(しょうじぼり)」をイメージした生地を数色お入れいたしま す。こちらはオプション料金なしでお選び頂けますが、生地は絶えず流動しているため、お仕立て時に品切れの場合がございます。その場合、再入荷までお待ち 頂くことがございます。
オプション:大堀切切羽(おおほりきりせっぱ)

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▲小田原城の背後にある山の尾根からの敵の侵入を防ぐため、山を鋭利に削って作った罠「大堀切(おおほりきり)」をモチーフとした袖口。お仕立て時別途 3,240円で承ります。※大堀切切羽をお選びの場合、五色リボンがつかず、また袖ボタンが開く本開き仕様にはできません。
【オプション:総構ステッチ(そうがまえ)

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▲城下町ごと要塞にした小田原城の城のつくり「総構え(そうがまえ)」をイメージしたハンドステッチ。ジャケットのフロント、ポケット、ポケットフラップ(蓋)へハンドステッチをお入れします。※お仕立て時に別途1,080円で承ります。
【オプション】北条家の家紋 三つ鱗の刺繍)

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▲襟の裏地(カラークロス)に北条家の家紋、三つ鱗(北条鱗)を別途オプションで刺繍致します。※お仕立て時別途6,480円で承ります。

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▲生地見本 店頭でお仕立て頂く際はパターンオーダーで、表地から各種オプションまで選択可能です。カノニコやゼニアなど海外の人気生地も取り揃えております。

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北条スーツのクラウドファンディングただいま開催中です

FAAVO小田原でただいまクラウドファンディング開催中です。北条スーツをご購入いただけるチャンスですので、是非応援お願いいたします。→クラウドファンディングはこちらからです

武将スーツ第4弾!
薩摩隼人の勝負服!島津義弘スーツで鹿児島おこし!

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薩摩島津家は、現代も続く数々の大名家でも屈指の名家です。鎌倉時代から約800年という長い日本の激変の時代の中でも絶えることなく、時代の節目に名を残す名君が輩出されてきました。鎌倉時代に薩摩に渡り、土着から始まった島津家・薩摩勢が明治維新の中心に居たことは皆様もご存知の通り。

九州の南端、幕府の目が届きづらい地でありながら、逆にそれを最大限に活かし、海外の情報・最新技術を取り入れ、歴史の岐点に存在していたことから、

今なお「島津に暗君(あんくん)なし」という言葉で根強い人気を誇っているのでしょう。

 それら数々の名君の中でもモチーフに選んだのは島津家の当主の中でも抜群の人気を誇る、島津家17代当主・島津義弘公。寡兵で何度も大軍に挑み、絶望的な逆境も機転を利かし、関ヶ原の戦いの絶体絶命の状況も打開、一族の結束で乗り切ってきました。

勇猛果敢な島津勢の戦いは伏兵戦術の「釣り野伏(つりのぶせ)」や関ヶ原の戦いにおける「敵中突破・捨て奸(すてがまり)」などでも知られ、この戦いぶりが多くのファンを惹きつけていると想います。

特に朝鮮出兵の戦いぶりは「鬼石曼子(グイシーマンズ)」として朝鮮・明軍から恐れられ、徳川家康も「前代未聞の大勝利」と奇跡の勝利を賞賛。これらの活躍が「鬼島津」の異名を今に伝えます。

そんな猛々しいイメージの強い島津義弘ですが、愛妻家で家族想い・兄弟想いであることが伺える文献も多く、敵味方関係なく死者を弔うなど情が深かった一面も。豊臣秀吉は島津家を恐れ、兄で16代当主の島津義久を冷遇、義弘を優遇し、兄弟の対立による弱体対化を謀ろうとしたが失敗したとも。義弘の死後、殉死(後追い死)を禁止していたにも関わらず、13名の殉死者が居たことからも人望の厚さが伺えます。

さらに、武術だけでなく茶の湯や医術、学問にも秀でた才能を持つ文化人であり、文武両道を体現したような人物であったことが伺えます。

この人柄を投影するようなスーツに仕上げ、現代のビジネスマンにも、是非このスーツを着用頂き、奮起して頂ければと考えます。競合他社や大手取引先にも屈せずに頑張るビジネスマン、そして家では良き父であり、趣味を嗜む事も忘れない。

がむしゃらに戦うだけではなく、義弘のような器の大きな人物に・・・そんな想いを込めました。

毎回こだわるボタンには、薩摩の高級伝統工芸品である薩摩ボタンを。そして胸に備え付けたチーフには大島紬を採用するなど、今回もご当地素材をあしらっています。

この島津義弘スーツを制作するに辺り、2015年11月、2016年5月の二度鹿児島へ渡り、仙巌園、尚古集成館などを中心に義弘公の足跡をたどりました。

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5月の鹿児島は雨。後述する吉兆の「島津雨」ということでしょうか。島津家に所縁の深い、仙巌園・尚古集成館を訪問して参りました。

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島津家28代当主島津斉彬公から始まったとされる集成館事業の一環として、1923年5月22日に開館した「尚古集成館」を訪ねました。こちら、現在は島津興業によって運営され、島津家に関する史料や薩摩切子、薩摩焼などが展示されています。 今日、よく見かける丸に十の家紋は、江戸時代以降に使われたものだそうで、当時はこの十字紋だったそうです。仙巌園に飾られている島津義弘公の鎧にも丸十が描かれていますが、当時の文献からわかりうる範囲での復元とのこと、より伝わりやすくするためとご説明を頂きました。

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仙巌園の記念スタンプにもこの家紋がありました。

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今回、スーツにメインの織りネームはこの十字。島津家の家紋には3種存在するそうですが、一番有名な十文字紋は初代・島津忠久が源頼朝から授かったものとされ、お馴染みの丸がない十字紋であったそうです。これは、2匹の龍をかたどったという言い伝えの他、1189年の奥州藤原氏攻略の際に源頼朝が箸で十字の形をつくってこれを家紋としたという言い伝えも。 島津家の初代忠久所用と伝えられる鎧や、蒙古襲来時の絵などに十字紋の旗が描かれていることから鎌倉時代には家紋として使用していたことが伺えます。これが16~17世紀頃に丸十文字紋へと変化するが、その具体的な変化時期や理由は明らかになっていないそうです。【織りネーム監修・協力:戦国魂】

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上記の織ネームを着けたサンプルを持って鹿児島・島津興業の方々にスーツを見て頂き、ご意見を賜る機会に恵まれました。 

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その場で尚古集成館様より、スーツの刺繍に使用許可を頂いたのがこちらの薩摩十字。

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モチーフが島津義弘の時代であるなら当時の十字と少し形状が異なるというご助言を頂き、襟裏の刺繍は尚古集成館様から頂戴した十字を採用。さら時代が異なる「丸十」のデザインは極力使用しない様にし、袖ボタンのみにするなど、鹿児島から戻り、何度も改良を重ねました。  

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西軍の敗北が濃厚になる中、ただでさえ少数の島津軍は四方を敵に囲まれ絶体絶命の危機を迎えます。 その時に島津義弘が家臣に尋ねます。「敵はどの方面が最も勢いがあるのか?」と。 家臣は答えます「東側の敵が最も勢いがある」と。 そうすると、義弘は家臣に言い放ちます。 「では、その最も勢いのある軍勢に突撃せよ」と。そうして300あまりの軍勢が80,000の敵軍へ突撃すつ前代未聞の退却劇が始まります。これが今なお語り継がれる敵中突破「島津の退き口」です。 300の兵士のうち、薩摩に生還できたのは80名あまりとも言われています。 この壮絶な退却劇があってこそ、島津家・薩摩藩は激動の時代を生き抜いていくのです。 今回の島津義弘スーツでは、これらの故事を取り入れ、鹿児島県の伝統素材も使用して制作しました。

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■こだわり1:十字紋の織ネーム

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織田信長、北条氏康に続き、今回も戦国プロデュース集団・戦国魂さんがグッズに使用されているロゴデータをご提供いただきました。黒地に白銀色の十字が映えます。 

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■こだわり2:釣り野伏せっぱ(つりのぶせっぱ)

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島津家が得意とした伏兵戦術として「釣り野伏せ(つりのぶせ)」というものがあります。

 

全軍を3つに分け、2部隊を左右で伏兵させて、敵を三方から包囲する戦法。まずは中央の部隊が正面から敵と対峙、敗走を装いながら後退するのが「釣り」そして敵が追撃を開始すると、左右の伏兵に敵を攻撃させる「野伏せ」で完成。

 

シンプルながら、敵に察知されないように動く部隊の連携、冷静な判断を強いられるなど高い訓練度を要する非常に難易度の高い戦法と言えるでしょう。島津家は、これらの戦法を駆使し、耳川の戦い、沖田畷の戦い、戸次川の戦いなどで勝利し、一時的とはいえ九州をほぼ統一することに成功しました。

  

本来は袖のボタンがあるところの穴かがりに見せた切羽(せっぱ)と呼び、ボタンホールが開いていて開閉ができる袖を本切羽(本開き)といいます。

その切羽の裏袖にICカードを伏兵のように収納できるポケットを装備。

 

袖で改札機をタッチすることでスムーズに出入りできます。忙しいビジネスマン、迅速で練度の高い島津家の行軍にあやかる仕様。差し込み口には落下防止のスナップボタンが付いています。  

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■こだわり3:丸十ボタン・小返しの五本鑓ボタン

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小返しの五本鑓(こがえしのごほんやり)とは、関ヶ原の戦いにおいて敵中突破退却戦の際、下馬して戦場に踏み止まり、島津義弘を救うために奮戦した家臣5人、川上忠兄、川上久智、川上忠智、川上久林、押川公近、久保之盛を顕彰した呼び名。

 

彼らの奮戦がなければ、後世まで語り継がれる壮絶な退却劇「島津の退き口」は成立しなかったかもしれず、その勇猛果敢な5人をイメージし、通常は4つが多いスーツの袖ボタンを5つ配しました。

左右の第一ボタンのみ、丸十のプリントを施しました。 

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■こだわり4:大島紬の伏兵チーフ

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大島紬(おおしまつむぎ)は手で紡いだ絹糸を泥染めし、手織りした平織りした布、あるいはその布で縫製した和服を指します。

鹿児島県奄美大島の特産品である大島紬が薩摩の記録に登場するのは1720年、薩摩藩の指示により、島役人以外の着用を禁じるというもので、薩摩藩の重要な財源となっていた事が伺えます。古くは734年に、奈良東大寺の献物帳に記録されている1300年以上の歴史がある日本が誇る織物です。

 

従来のスーツでは袋地が縫い付けてあり普通のポケットになっていて、フォーマルな場ではシルクのチーフを胸に挿します。島津スーツではこのポケット地に贅沢にも大島紬を使用、つまんで取り出し、ポケットチーフにすることができ、商談や重要な会議の場でも簡単にドレスアップが可能。こちらも島津家得意の伏兵戦術にならいました。

 

※大島紬は生産時により生地が変わる可能性がございます。

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■こだわり5:鶴丸城モチーフのポケットフラップ(フタ)

関ヶ原の戦いの後、18代当主家久(忠恒)によって築城された鹿児島城の別名。鹿児島では一般的に別名の「鶴丸城」の名で親しまれ、案内図や看板なども「鶴丸城」の表記でほぼ統一されているほどです。この名の由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたようであったことから付いたとされます。

 

鶴丸城にちなんで、ポケットフラップの裏地には鶴の織柄が入った純白の西陣織を使用。鹿児島の素材ではありませんが、西陣織の由来にもなった応仁の乱では島津家は事実上、東西に分かれて参戦、10代当主の立久が東軍、叔父の季久が西軍に属し、どちらが負けても家が存続するようにしていたためであると言われています。 

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■こだわり6:火縄・留め紐

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火縄銃の導火線をモチーフにした江戸紐のボタン留め紐。

 

鎌倉から続く名家としての誇りか、関ヶ原の戦いでも島津義弘は平安・鎌倉時代に多く着用された「大鎧(おおよろい)」で臨んだと伝えられています。そんな古式の鎧をまとっていたとされる一方、火縄銃をいち早く手に入れ、大将自ら銃を持って戦ったとされる島津勢(尚古集成館様より教示)、関ヶ原の退却戦でも殿(しんがり)を務めた部隊が火縄銃で応戦、島津家臣の柏木源藤(かしわぎげんとう)が徳川の重臣・井伊直政を狙撃、直政はこの傷が元で亡くなったと言われています。

 

 

※限定コースでは島津家・島津義弘公にちなんだ薩摩ボタンをあしらう特別仕様をご用意しています。

薩摩ボタンはご支援順に1つ1つ作家による手作りのため、お届け日は最長時期を記載しております。スーツお仕立て時は通常のボタンをお付けしますのので、島津スーツやお手持ちの衣類雑貨へは縫い付けはご自身でお願い致します。

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■こだわり7:襟裏十字刺繍

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鹿児島訪問時、尚古集成館様よりご提供頂いた十字の家紋を襟裏に刺繍。これまでの武将スーツではオプションにしておりましたが、リクエストが多いことから、今回は標準でお付けすることにしました。 重要な会議、大きな商談、プレゼンが控える朝はこの襟を見つつ、ピシッと立てていざ出陣!

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■こだわり8:座禅陣シートピース

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座禅陣(捨て奸)は、関ヶ原の退却戦で少数の兵が敵軍を足止めする戦法で、特にあぐらをかいた兵が銃で敵の指揮官を狙撃するものを指します。座ることによって敵から見つかりにくくした、射撃の命中率向上を狙ったとされています(諸説あり)

敵中突破を模したV字の切れ込みはシートピース、またはVカットと呼ばれるデザインで、ベルトループが腰帯に縫い付けられているものとは異なり、V字の切れ込みとループが独立してついています。オーダーでは人気の仕様ですが、スリットがはいっていることにより、腰まわりが楽になり、また、ベルトで独立ループが引き上がることにより、ヒップを持ち上げ、スタイルを良く見せる効果があります。

 

更に、右腰前にもこっそりポケットが。今ではコインポケットやチェンジポケットが主流の呼び名ですが、かつてはウォッチポケットと呼ばれ、その名の通り懐中時計を入れるポケットでした。

 

島津義弘公は朝鮮出兵時、時計代わりに猫7匹を朝鮮に連れて行き、猫の目の瞳孔の開きで時刻を推察したとされています。また、明治維新にも第29代当主島津忠義が西郷隆盛に懐中時計を贈ったことも知られています。

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室田 志保さん/薩摩焼絵付け師

1975年鹿児島県生まれ。95年に白薩摩焼窯元の絵付け部に入社。2004年に鹿児島県青年会議所の海外留学派遣事業留学生に選ばれ、『薩摩焼をインテリアに取り込む』のテーマでイタリア・フィレンツェに短期留学。05年に金沢国内留学、九谷焼人間国宝工房にて技術指導を受ける。同年、白薩摩焼窯元を退社し、鹿児島県大隅半島にアトリエを構える。07年に初個展。09年日本ボタン大賞展審査員特別賞優秀賞受賞。

 

今回の島津スーツは、鹿児島が世界に誇る高級伝統品である薩摩ボタンを採用。島津家・島津義弘公の故事をモチーフに、海外でも高い評価を受ける新進気鋭の薩摩ボタン作家・室田志保さんにオリジナルで製作頂きました。フランスやアメリカなど海外でも高い評価を受けるその芸術品を復活させた匠。

  

かつては薩摩藩が独自に参加したパリ万博でも高い評価を受け、その名を世界に轟かせました。

薩摩ボタンは、鹿児島の伝統工芸品「白薩摩」に薩摩焼の技法を駆使し、金をはじめとする豪華絢爛な配色を施し、ミリ単位で作品を描いていきます。

 

 

着物などの和服やオーダーメイドなどの洋服の装いに、さらに上質な気品をまとわせるためのジュエリーにも似た芸術品といえます。

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▲鹿児島にある室田さん(写真中)のアトリエを訪ねました。

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▲アトリエには繊細に描き上げられた、まばゆい薩摩ボタンが飾られていました。絵付けは作家さんが、ひとつひとつ手作業で行うため、お届けにはお時間を頂戴致します。

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▲猫神様内ポケットボタン(左)・狐火/島津雨ラペルピン(右)装着例

■狐火と島津雨

狐(お稲荷さん)の周囲にカラフルな狐火が焚かれ、上部から「時雨軍旗」に描かれた雨が降るデザインです。

 

島津家の稲荷信仰は島津忠久誕生伝説が源流で、丹後局は住吉大社で雨の降る夜に狐火に照らされて忠久を出産したと言われています。 また、16世紀の合戦にも狐の話が出てくる。天文23(1554)年の岩剣城の戦いの際には狐火が灯ったと言われ、 文禄・慶長の役では紅白3匹の狐が明軍に突撃したと伝えられている。このようなことから島津氏と狐は関係が深く、稲荷信仰が領国に根付いていた。

また、雨の降る日に初代島津忠久が誕生したことにちなんで、島津家では雨をめでたいことが起こる吉兆とし「島津雨」と呼んでいた。 戦国時代、義弘の父・島津貴久が使用したとされる「時雨軍旗」はその故事をもとに作成されたものとされています。

■猫神様-義弘公に時を知らせた猫

豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1592~1598年)の際、島津義弘は朝鮮に7匹の猫を連れていき、猫の目の瞳孔の開き具合で時刻を読み取ったとされ、7匹のうち、生還した2匹の猫を祀った神社が尚古集成館がある仙巌園に、日本で唯一猫を祀っているという「猫神神社」です。そのうち、一匹は三毛猫であったことが濃厚であるという研究からも、今回は一匹を三毛猫で描いていただきました。

 

室田さん曰く「猫の時計を懐中時計に見立て内ポケット用に猫を描きました」とのことで、猫時計を胸に忍ばせるコンセプトにとても感銘を受けましたので、内ポケットは猫神様に限らせて頂きます。

 

ボタンとラペルピンの裏の仕様はこちらのようになっています。裏には室田さんのアトリエ作である「Satsuma志史」も緻密に描かれています。

薩摩ボタンは1つでも2つでも、ケースと薩摩志史さんによる保証カードが付属します。

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「チェスト!」
鹿児島県出身のプロ野球選手・川崎宗則選手がヒーローインタビューでよく叫んでいたり、格闘漫画などでもご存知の方も多いと思われます。元々は戦いの前に、気合を入れる「それゆけ!」に相当するのが「チェスト」だそうで、今では鹿児島のかけ声として浸透しているように想います。 この言葉に似た服・・・「チェスター(コート)」というひらめきで作ったのが、チェストォーコートです。ハッキリ言ってダジャレから生まれました。 チェスターコートは19世紀にチェスターフィールド伯爵が着たことに由来するという説が最も有力で、ジャケットに似た膝丈のコートです。今ではフォーマルやビジネスのコートとしても人気、女性のコートでもチェスターコートが増えました。 スーツ工場である自社工場に無理言って作ってもらったら思いの外かっこいいではありませんか。 スーツが減る中、様々なものづくりにチャレンジしていきたいという若手職人の魂が宿ったコートです!


■こだわり1:島津四兄弟ボタン 第二ボタンが次男・義弘公をイメージ

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島津義弘は、15代当主・島津貴久の次男として生を受け、16代当主の兄・義久、弟・歳久・家久らとともに活躍、薩摩を守りぬきました。コートの袖ボタンは、この結束が固い4兄弟を表し、次男・義弘にあたる第二ボタンに丸十ボタンで切り替えた4兄弟ボタンにしました。

■こだわり2:釣り野伏せっぱ(つりのぶせっぱ)

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▲スーツと同じく右袖の裏側(下袖)にICカード隠しポケットを装備。

■こだわり3・4:十字紋の織ネーム・襟裏刺繍

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▲スーツと同じく、身返しに十字家紋の織ネームを、襟裏に十字家紋の刺繍を施しています。

■こだわり5:鶴丸城モチーフのポケットフラップ(フタ)

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▲右脇のポケットは2段、上部にチェンジポケット(ウォッチポケット)をつけました。この右に2つ、左に1つのポケットのフラップに鶴丸城モチーフの鶴の西陣織を採用。

■こだわり6:火縄・留め紐

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▲スーツと同じく、火縄銃の導火線をモチーフにした江戸紐のボタン留め紐。

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